【東南アジア②】古代ベトナムの文明と国家

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ドンソン文化

紀元前4世紀ごろから紀元前のおわりごろまであった文化です。

中国の文化や技術に影響を受けており、さらにその技術を磨いて高い技術力を持っていたため、青銅器を極めて高いレベルで加工して銅鼓などを作製していました。

また、大きな文明にもなかった鉄器の加工や使用も行っていたとされています。


チャンパー

2世紀から17世紀にかけてあった、後漢から独立したチャム人が現在の「南ベトナム」にあたる位置に建てた国です。長い歴史の中で中国での呼び方が変化しており、林邑環王占城の順番で変化しました。

また、ここまで長く繁栄した理由として中国の存在が大きく、インドと中国の交易中継地として必ず利用されたため大きな富を得ることができていました。


大越

11世紀から19世紀ごろまであった国(正確にはベトナムの国号)

李朝

11世紀の大越に入るまでの間、現在のベトナムにあたる地域は長きに渡り中国の支配下にありましたが、李朝に移り属国ではあるものの国として認められるようになりました。

しかし、後期に入り独裁政治が目立ち始め急激に衰退、内部の勢力争いの結果あらたに陳朝が開かれることになります。


陳朝

字喃(チュノム)と呼ばれる文字を作成したことで知られ、モンゴルとの三度に渡る戦争やチャンパーとの戦争など、誕生から滅亡まで戦争が頻発していました。

またこのチャンパーとの争いにより力を失い、次の黎朝に移り変わっていくことになります。


黎朝

この王朝では内部の勢力争いがありながらも、南北のベトナムを統一、国力を強めることに成功します。

しかし、やはり内部争いが激しく反乱が頻発しますが、中国のと協力し力を持ち始めていた西山朝勢力を叩くも失敗し滅亡することになります。

その西山朝も24年しか維持できず、争いが続き国内は荒れ果てた状態が続きました。

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