【ローマ④】政治体系の移り変わり

ローマ
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元首政時代

アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌスは、元老院から功績を称えられ「アウグストゥス」=尊厳者の称号を与えられました。

しかし、あくまでも市民の味方であるとアピールしたいオクタウィアヌスは「プリンケプス」=市民の中の第一人者であると主張し、共和政を重んじているように振舞っていましたが、裏では皇帝として権力を振るっていました。


この作戦は成功し、支持を集めながら独裁政治を行い続けました。また、これを受けオクタウィアヌスの後継者達はこの手法を真似することで、権力を維持しながら支持を集め独裁を継続していきました。


五賢帝時代

この時代はローマの最盛期であるといわれ、ローマ各地が大いに繁栄していました。

ネルウァ帝

「ネルウァ帝」が皇帝になるところから始まりますが、この時代が繁栄したのはネルウァ帝のおかげであり、ネルウァ帝が優秀な人材を養子にして後継者として育てる方法を取ったために、続けて能力の高い皇帝が誕生することになります。


トラヤヌス帝

ネルウァ帝が目を付けたのは「トラヤヌス帝」で、彼は能力を存分に発揮しローマ史上、最も大きく領土を持っていました。

また、その中にはドナワ川からの侵攻を防ぐため、現在のルーマニアである「ダキア」も含まれており、ここに住んでいた異民族をローマ人と結婚させることで平和的に占領、また結果としてローマ人が多くなったためにダキアではなくローマとして扱われるほどになります。


ハドリアヌス帝

このトラヤヌス帝の後継者は「ハドリアヌス帝」で、領土を広げる攻撃的な政治を行ったトラヤヌスとは対照的に、大きくなった領土を守るため各地に城壁を作るなど、国の経済や環境を改善するために力を注ぎました。


アントニヌス=ピウス帝

ハドリアヌス帝の行った政策の効果もあってか、20年以上ものあいだ皇帝として国を治めていましたが、ローマ史の中で最も平和であったとされるほどに大きな事件が起きませんでした。


マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝

彼は哲学者であり、「自省録」という本が知られています。

また、この時代にはインド洋の季節風を使った「季節風貿易」と呼ばれるアジアとの交易が盛んに行われ、絹や香辛料など多くの物を輸出していました。

ここまでの200年はローマの平和(パックス=ロマーナ)と言われるほどに栄えていましたが、「マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝」が後継者に息子を選んだことでこの平和が崩れることになります。


軍人皇帝時代

この時代では各属州がそれぞれ有力者を皇帝に推薦し、皇帝の座を奪おうと争いが激化していきました。

また、この権力争いが原因となり国内が荒れたことで防衛力が徐々に低下し、北方にいたゲルマン人や、当方のササン朝ペルシアの侵入が激化していきました。

その結果、28人の皇帝の内26人が戦死や暗殺により死亡するなど政治が機能しなくなったため、専制君主制の政治に移り変わっていくことになります。

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