【ローマ①】 建国と共和政の確立

ローマ
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ローマの建国

ティベル川の畔にラテン人が小さな街を作ったことが始まりとされています。

しかし、その後エトルリア人によってローマは支配されることになりますが、その王を追放することによって共和政への道を歩み始めることになります。


貴族政治

追放は貴族達によって行われたため、彼らが中心となって政治が行われていくことになります。

彼らは最高の決定機関である「元老院」を作り、そこに任期のない終身議員を配置し政治を行っていました。


また、その中に「コンスル」と呼ばれる執政官が任期1年で2名居ましたが、緊急時には無駄を無くすため臨時の「ディクタトル」と呼ばれる”独裁官”が代わりに政治を行いました。

貴族以外も参加できる全男性市民で構成された「民会」もありましたが、元老院の承認がないと法として認められない状態でした。


身分闘争と共和政

プレブス=平民は農民や商工業者で構成されており、身分が低かったために自分達の扱いに不満を抱いていました。

そこで平民たちは商工業の発達などもあり、重装歩兵として国防に参加することで参政権を要求、これが徐々に認められ様々な機関が作られることになります。


平民のための政治機関

はじめに平民を護るために「護民官」ができました。これは2名で構成されており、元老院や執政官の決定を拒否できる権限がありました。

次に平民のみで構成された「平民会」ができ、この議長に護民官が付きました。これにより平民が提案することに加え、提案に対して貴族が不利な条件を付けられないようになりました。


また、法律の明確化も進められました。「十二表法」と呼ばれるそれまであった慣習を成文化したものや、「リキニウス=セクスティウス法」と呼ばれる執政官の1人を平民から選出する、また土地を勝手に奪われなくなるといった平民の権利を尊重するものもできました。

また、執政官になることで独裁官になれるチャンスもあるため、緊急時に平民のための法を作る可能性を得ることができました。


この可能性が現実となり、ホルテンシウスによって「ホルテンシウス法」が作られました。この法により、平民会の決議が元老院の承認を得ずに法として認めさせることができるようになりました。

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