【ローマ②】イタリア半島の統一と拡大

ローマ
広告

イタリア半島の統一

国が発展して力を得たローマは、中小農民が重装歩兵として活躍したこともありイタリア半島の統一に成功します。

統一後は、「すべての道はローマに通じる」と言われたように、国内の道を整備することで軍が活動しやすい環境を整えました。


また、イタリア半島の都市を「分割統治」しました。都市を植民市や自治市などに分けた上で差別化し、対立させることでローマに矛先が向くのを防いでいました。


ポエニ戦争

統一と統治を終えたローマは地中海の覇権をめぐり、西地中海の交易を独占していたフェニキア人国家である「カルタゴ」と戦うことになります。

最初の戦いではローマが勝利し「シチリア島」を獲得しました。このシチリア島はローマにとって初めての属州(海外植民地)となりました。

また、シチリア島は穀物が豊富に採れる場所であったため、カルタゴにとっては大きな損失でした。


戦に敗れシチリア島と大きな資源を失ったカルタゴは、反撃するために名将「ハンニバル」が軍と”ゾウ”を率いアルプス山脈などの山を越えて、地中海を警戒していたローマの裏を突く形で侵入しました。

この「カンネーの戦い」でローマは敗北を喫し傷を負いましたが、ローマも戦をいくつも生き延びた「スキピオ」が軍を率い「ザマの戦い」を行い勝利をおさめました。

また、この戦いによりカルタゴは滅亡、ローマの領土は大きく拡大します。


貧富の差

大きな領土を得たローマは、それまでの属州統治をさらに加速させた「ノビレス」と呼ばれる新貴族や、その属州の統治を行った「エクイテス」と呼ばれる騎士などの存在が大きくなりました。

また、戦争に負けた国の人々は奴隷として扱われ、主に農業の運営に使われました。


無産市民

この奴隷などの働きにより豊かになっていったローマですが、農民として働いていた者たちは戦争にかかる費用を自ら出しており、また戦争が長く続いたため金銭的な余裕がほぼ無い状態でした。

また、土地が荒れていたこともあり農民として働けなくなった人々は無産市民となり、食料であるパンと娯楽の見世物を求めて都市ローマに次々と人が移っていきました。


大農園

お金を持った富裕層や貴族達は、征服した土地や放棄された土地を私有化し、大量の奴隷を働かせることで「ラティフンディア」と呼ばれる奴隷制大農園が発展していきました。

この農民と貴族の変化により、元々あった貧富の差が大きく拡大していくことになります。

タイトルとURLをコピーしました