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【古代中国⑫】女帝の誕生と唐の滅亡

唐の中で最も大きな領土を持っていた高宗が死ぬと、その子供である中宗(ちゅうそう)が皇帝になりました。しかし、中宗は皇帝に向いておらず成果を出せなかったため、高宗の皇后である則天武后(そくてんぶこう)や、中宗の皇后である韋后(いこう)が中宗を皇帝の座から降ろし、則天武后が皇帝として君臨することになりました。
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【古代中国⑪】唐の誕生と二度の最盛期

大運河の工事など、労働者の酷使によって隋では国民からの反発が強まっていました。そして高句麗(こうくり)遠征の失敗直後に起きた反乱をきっかけに起きた全国での反乱や、北に居た異民族の突厥(とっけつ)との戦での敗北など、力を徐々に失っていきました。力を失った国内では独立した勢力が力をつけ、中でも李淵(りえん)は特に勢力が大きく首都を奪取、これを機に一気に衰退した隋は滅亡
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【古代中国⑩】隋の統一とその内政

北周の外戚であった楊堅(ようけん)によって作られた国で、長い混乱の時代を経て中国を再統一したことで知られています。隋ははじめに南を攻める際の懸念点である、北に居た異民族「突厥(とっけつ)」を攻撃しました。それにより突厥が東西に分裂すると戦力を集め陳を攻撃、力の弱っていた陳はあっさりと滅び中国は再度統一されることになります。
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【古代中国⑨】東晋とその後の南部

東晋 西晋のあった地が異民族に支配され五胡十六国時代を迎えていた頃、南では建康(けんこう)を都として東晋(とうしん)ができていました。 東晋は西晋から逃げてきた司馬睿(しばえい)など、普の一族によって建てられたもので、北部...
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【古代中国⑧】五胡十六国と北魏分裂

五胡十六国時代 永嘉(えいか)の乱によって西晋が滅びた後、五胡と呼ばれる匈奴・鮮卑(せんぴ)・羯(けつ)・羌(きょう)・氐(てい)の5つの異民族によって、華北と呼ばれる中国北部一帯は支配されました。 また、この5つの異民族によ...
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【古代中国⑦】三国時代と西晋による統一

後漢の滅亡 黄巾の乱をはじめとする各地の反乱によって国内は荒れた状態にありました。 その混乱を利用し、一将軍であった董卓(とうたく)は軍事力を使い洛陽(らくよう)を支配、皇帝を殺害し実権を握った上で暴虐の限りを尽くしており、後...
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【古代中国⑥】前漢の滅亡と後漢の誕生

武帝の時代、遠征による出費を埋めようと様々な政策を打ち出しましたが大きな改善は見られず、皇帝の力が弱まっていきました。そして武帝の死後、大土地を所有、農民を支配した豪族が力を持ち始め重要な役職を独占、皇帝を中心とした国の政治にも影響を及ぼすようになりました。また、皇帝の世話役である宦官(かんがん)や、外戚と呼ばれる皇帝の妻の親族も力を持ち始めました。
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【古代中国⑤】前漢の誕生

項羽(こうう)との指導者争いに勝利した劉邦(りゅうほう)は、漢(かん)という国を建てました。領土は秦の時代と同程度の大きさですが、秦のような農民反乱が起こらないよう郡国制を導入した政治を行いました。郡国制は郡県制と封建制(ほうけんせい)を組み合わせたもので、都の「長安(ちょうあん)」を中心とした一定範囲内のみ直轄地として治め
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【古代中国④】秦による中国統一と滅亡

戦国時代の秦を含む7ヵ国、戦国の七雄は拮抗した状態にありました。しかし隣にあった普が韓、魏、趙の3ヵ国に分裂したことで秦は力を持つかと思われましたが、その中から魏が大きく力を持ち、秦に対しても領土を奪うなど影響を強めていました。これを受け王であった「孝行(こうこう)」は、大陸中から優秀な人材を集めて国力の向上を目指しました。
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【古代中国③】諸子百家と思想

諸子百家とは「様々な学問」の「様々な先生」を指します。「家」は学問の意味であり、「子」は先生という意味です。歴史上、争いが激化すると人々は宗教的思想に頼る傾向が見られますが、春秋戦国時代の混沌とする古代中国では、宗教ではなく考え方が変化していきました。
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