【モンゴル①】モンゴル帝国の台頭

モンゴル
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チンギス=ハン

華北周辺など、モンゴル高原やその周辺には古くから遊牧民が存在していました。

その中でも匈奴や突厥、女真族など様々な遊牧民が誕生していましたが、その流れの中でテムジンと呼ばれる人物が誕生しました。


このテムジンは力を伸ばしていた一族の元に生まれたこともあり、悲惨な目に遭いながらも一気に力をつけモンゴル高原を統一しました。

また、これに伴いクリルタイと呼ばれる部族会議が開かれ、テムジンはハンと呼ばれる地位に就くと共にモンゴル帝国を建て、チンギス=ハンと呼ばれるようになりました。


チンギス=ハンの征服活動

チンギス=ハン率いるモンゴル帝国は、周辺の国家や民族に対して征服活動をしました。

まずはの都を落とし、次にナイマンと呼ばれる西遼にあった遊牧民を征服、またその西にあったホラズム=シャー朝も征服、加えて西夏も征服しました。


これらは非常に戦略的な活動であり、大陸の中央に位置する国や民族国家を抑えることで周辺国家の交易路を潰し力を弱めることができました。

また、同時にモンゴル帝国は物資を調達しやすくなったため力をより強め、これによりこの後の指導者達が征服活動をしやすい状況を作り出しました。


モンゴル帝国の拡大

指導者が二代目のオゴタイ=ハンの時代に入るとに対して本格的に攻め込み金を征服、領地を一気に広げると今度はバトゥに対しヨーロッパ遠征を指示しました。

このバトゥは南ロシアにあったキエフ公国を征服すると、ドイツ・ポーランド連合軍ワールシュタットの戦いと呼ばれる戦を行い勝利、しかしオゴタイ=ハンが死去したために帰還し西征は中断されることになりました。


その後四代目にモンケ=ハンが就くと兄弟のフラグフビライに遠征を指示し、征服活動が行われました。

フラグはバグダードにあったアッバース朝を征服してバグダード一帯を支配、フビライは宋の西にあった大理国を征服し大陸の支配圏をより大きなものにしました。


この後フビライは指導者になり、モンゴル帝国をと改め、さらに国を大きくしていくことになります。

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