【モンゴル③】元による中国支配と滅亡

モンゴル
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元の中国支配

広大な領土を得た元は分裂、元と複数のハン国に分かれ、元は中国の統治に注力するようになります。

しかし、元の統治はモンゴル人第一主義であったために階級があり、そういった統治の姿勢が後に反乱を招き、滅亡の原因を作ることになります。


統治

元はの時代の統治を基本として用いていましたが、自分たちにとって都合の悪いものは容赦なく切り捨てていきました。


その中でも顕著にあらわれているのが科挙の廃止で、儒学を基礎として行われる科挙はモンゴル人にとって関係性が非常に薄く、これを行う必要性がありませんでした。

また儒教は軽視され、儒教を軸としていた中国の知識人たちは一気に力を失うことになりました。


また、人種による階級が存在しており、モンゴル人が一番上に位置していました。

二番目は中央・西アジアの色目人で、商業を得意としていたために重要な役職に就けられていました。

三番目は金に支配されていた漢人であり、四番目に南宋の支配下にあった南人、奴隷などの人権を奪う行為は見られませんでしたが、漢人と南人は役職には就けませんでした。


統治による変化

交易の要所を奪い、他国の力を弱め自国を強めたモンゴルは、やはり交易を重要視していました。

中国の大運河を拡張して物資をより多く運べるようにし、駅伝制と呼ばれる馬を用いた移動法で情報の伝達や商人の移動を迅速に行えるようにしました。


もちろん海による貿易も栄え、世界一の貿易港である泉州、それに次ぐ杭州、古くからあった広州など貿易港の周辺は急激に発展していきました。


元の滅亡

領土も大きく支配も順調だった元でしたが、チベット仏教の信仰が過熱、狂信者が続出したことで国が衰退していくことになります。


致命的だったのは寺院を乱立したり、儀式に多額の出費をしたりと、経済を大きく圧迫したことにあります。

また、儀式を優先するがあまり政治を疎かにしてしまうなどの問題もありました。


これらの問題で庶民は生活が苦しくなり、ついには貧しい人々から人気の高かった白蓮教の教徒による反乱、紅巾(こうきん)の乱が発生、朱元璋(しゅげんしょう)を筆頭とした勢力に大都を奪われたことで元は滅亡することになります。

また、朱元璋によってが建てられることになります。

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