【古代オリエント②】エジプト文明

古代オリエント
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エジプトの文化

エジプトは新石器時代に生まれた宗教や文字が発達しており、当時ではかなり先進的でした。宗教は「太陽神ラー」を筆頭に多数の神様が存在し、亡くなった後も霊は残るといった霊魂不滅の考え方などもありました。

この宗教的な思想からミイラや、死と復活の神である「オシリス神」が審判を下しやすいよう、その人間がどういった行いをしていたかを記す”死者の書”といったものが作られていたりしました。


また、死者の書に使われている文字や紙も進化しており、文字は「ヒエログリフ」と呼ばれる神聖文字で、絵が文字になったものでした。文字はそれ以外にも神官文字や民用文字などが存在しており、時代ごとに3つの文字がそれぞれ使用されていたと考えられています。


紙はペーパーの語源でもある「パピルス草」という植物を使って作っており、石板などに比べ記載できる情報量が飛躍的に向上しました。巻物にすることで外交などにも使えたため、国家間でのやりとりが非常にスムーズに行えるようになったと思われます。

他にも、太陽暦や十進法といった学術的な部分も非常に進化していました。


エジプト文明

エジプトは、古代ギリシャの歴史家であるヘロドトスが、「エジプトはナイル川のたまもの」と言ったようにナイル川の影響が非常に大きかったとされています。

これは、年に1度だけ川が氾濫し、水と養分を持った土が運ばれてくることに由来し、安定して作物を育てることができたと考えられています。それを物語るように、ナイル川の周辺に次々と「ノモス」と呼ばれる都市国家などができました。


王朝の誕生

ナイル川の下流は下エジプト、上流は上エジプトと呼ばれており、どちらにも多数の国家が存在している状態でした。その下エジプトと上エジプトそれぞれが統一国家となった後に、上エジプトが下エジプトを武力で征服し、王朝が誕生したとされています。


古王国

エジプトの歴史は長く続くことになりますが、王朝ができてしばらく経ったある時期からを「古王国」と呼びます。

古王国は下エジプトにあるメンフィスを都とし、500年ほど時代を築くことになります。この古王国時代で既にピラミッドは作られており、クフ王のものを筆頭にいくつものピラミッドが建造されました。


中王国

古王国が終焉を迎えてからしばらく経ち、荒れていたエジプトを統一したことで「中王国」と呼ばれる時代に突入します。中央国では上エジプトのテーベを都とし、止まっていたピラミッドの建造などが再開されることになります。


しかしその時代が終わると力が弱まり、そこに「ヒクソス」と呼ばれる遊牧民が国内に入り、新しい王朝を立て国を支配することになります。

ヒクソスは力があったため広い範囲を力で従属させていましたが、テーベを中心とする勢力が独立、南北が分断される形になります。


新王国

そこから少し経った後に、上エジプトがヒクソスを放逐、再び南北は統一されることになります。

中王国と同じく上エジプトにあるテーベを都としており、力によって繁栄がもたらされていましたが、多神教だったために神官なども力を持ち、権力が分散されている状態でした。

そこでアメンホテプ4世は都をテル=エル=アマルナに移し、アトン神のみを崇拝する一神教を強制することで、権力を王に集中させるようにしました。


他にもアマルナ美術と呼ばれる非常に先進的な芸術などが注目されていましたが、内政に注力したためにヒッタイトにシリア・パレスティナを奪われ、国力を削がれることになります。

その後、王になったラメセス2世はこれを取り戻すためにシリアに進出し、「カデシュの戦い」と呼ばれるヒッタイトとの戦争をすることになりますが拮抗、世界で初めての平和条約を結ぶことになります。


滅亡

ラメセス2世の死後いくつもの王が誕生し、ラメセス3世の時代は繁栄しましたが、そこからしばらく経ってからアッシリアによって征服されることになります。

アッシリアによる征服はアッシリアの国力が失われたことによって解かれ、独立することになりますが、アケメネス朝のペルシアによって再度征服され、その後に滅亡することになります。

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