【古代インド③】マウリヤ朝とクシャーナ朝

古代インド
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マウリヤ朝の誕生

古代インドの頂点に立ったマガダ国でしたが、統一はしておらず国がいくつも存在している状態でした。しかし、東方遠征を行っていたアレクサンドロスがインダス川まで侵入し、国々に攻撃を仕掛けました。

一度は退けたものの、これに危機感を抱いた「チャンドラグプタ」は土地を守るためマウリヤ朝を作りマガダ国を打倒、インドの統一に成功しました。


アショーカ王

二代目の王になったチャンドラグプタの息子、ビンドゥサーラが病死した後、ビンドゥサーラの息子であるアショーカが王になりました。

アショーカはインドの南端を除く全インドを統一し、全盛期を迎えました。


また、アショーカは仏教のルールである「ダルマ」を用いて政治や統治を行い、各地に磨崖碑(まがいひ)と呼ばれる崖に文字を彫ったものや、石柱碑を建てることでルールを周知させようとしました。

他にも釈迦の遺骨を納めるための仏塔を建てたり、書物を集め説法を統一する「仏典結集」を行ったり、海外であるスリランカに布教を行ったりしました。


クシャーナ朝

マウリヤ朝が滅亡した数世紀後にクシャーナ朝が誕生しました。「カニシカ王」の時代に最盛期を迎えますが国は少し特殊な形をしており、現在のインドの北西から北側に大きく縦に領土を持っていました。

その土地は東西の交易中継地であったため非常に栄え、また文化も入り混じったためギリシアの文化などが入った「ガンダーラ美術」が発展し、仏像が誕生することになります。


また仏教も変化し、小乗仏教上座部仏教と呼ばれる個人の救済に重きを置いたものから、全ての人を救う大乗仏教が力を持ち、菩薩信仰と万人の救済に重きを置いた大乗仏教は中国や日本に伝わっていくことになります。

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