【古代中国⑩】隋の統一とその内政

中国
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隋による中国統一

北周の外戚であった楊堅(ようけん)によって作られた国で、長い混乱の時代を経て中国を再統一したことで知られています。


隋ははじめに南を攻める際の懸念点である、北に居た異民族「突厥(とっけつ)」を攻撃しました。

それにより突厥が東西に分裂すると戦力を集め陳を攻撃、力の弱っていた陳はあっさりと滅び中国は再度統一されることになります。


隋の内政

隋では後の王朝にも影響を与える、「均田制」・「租庸調制」・「府兵制」の三つの制度と「科挙」が行われていました。


均田制

均田制は以前にも行われていましたが、耕牛奴隷にも支給していたために、豊かな家であれば牛や奴隷を購入することで土地を新たに得られるようになっていました。

また、貧しい家は裕福な家に吸収されるなど、税の収入が安定しない側面もありました。

そういった格差を是正し、税収入の安定を図るために男にのみ畑を支給する方法を取るようになりました。


租庸調制

租庸調制は租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)の三つからなる税制で、国を支える重要な役割を担っていました。

は穀物であり、均田制で分け与えた土地から穀物を回収、は労働であり年に20日の労役、調は調絹や調布とも言われ、絹や布を納めるなどそれぞれ違った形で税を集めていました。


府兵制

以前からあった制度ですが均田制を変更するに伴い、均田制で土地を与えた農民を徴兵していました。

これは土地を配布する際に場所や年齢が分かることもあり徴兵しやすく、また農民も税がこの間は免除されることもありどちらにも利があるものでした。


科挙の実施

学科試験を行い、その点に基づいて優秀な人材を登用するようにしていました。

それまでは郷挙里選や九品中正による推薦や、それによるコネや賄賂の横行、権力者の官僚職独占が頻繁に行われていました。

それらの問題を科挙、当時は儒教が中心ではあったものの行ったことで少しずつ改善されていくことになります。


中国の再統一とこれらの制度によって発展するかと思われた隋でしたが、次の皇帝が労働者を酷使したために反発が強まり反乱が発生、滅亡して唐が中国を支配する時代になります。

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