【古代中国⑨】東晋とその後の南部

中国
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東晋

西晋のあった地が異民族に支配され五胡十六国時代を迎えていた頃、南では建康(けんこう)を都として東晋(とうしん)ができていました。


東晋は西晋から逃げてきた司馬睿(しばえい)など、普の一族によって建てられたもので、北部に比べ土地に養分が多く作物が豊富に採れたことなどから貴族が多く、その貴族らによって文化が発展していきました。


南朝

北に北魏ができて少し経った頃、南は東晋から(そう)に代わりました。

また、宋ができて少し経つと北魏が華北一帯を統一、南北が二分された形になったため南北朝時代と呼ばれる時代に入ります。


北では北魏が分裂、またそこから国が変化していきますが、南も同様に都を建康(けんこう)として、(そう)・(せい)・(りょう)・(ちん)4つの王朝が代わるがわる出来ました。

それぞれの王朝が短いため目立った記録はありませんが、華北の戦から逃れた豪族や農民が豊かな南に辿り付き続々と江南(こうなん)が開発されていきました。


しかし内政が上手くいかず、土地に養分が豊富であったことや江南の開発などから豊かであったものの、偽銭が出回ったり、戸籍が悪用されたりと、権力を持っているものも含め生活をまともに営めない状態にありました。


その結果、梁から分裂した国は北周に代わって出来た隋に権力を握られ、また陳は皇帝が暴君であったために国力が低下しており、南朝にあった国は滅び隋が中国統一を果たすことになります。

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