【古代中国③】諸子百家と思想

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諸子百家

諸子百家とは「様々な学問」の「様々な先生」を指します。

「家」は学問の意味であり、「子」は先生という意味です。


歴史上、争いが激化すると人々は宗教的思想に頼る傾向が見られますが、春秋戦国時代の混沌とする古代中国では、宗教ではなく考え方が変化していきました。

これは乱世の中において、家柄や血ではなく実力がより重視されるようになっていった、という背景があります。


儒家

儒家は孔子(こうし)によって生み出された学問で、上下関係を軸としながらも秩序を重視し、理想の社会を作ることを目的としていました。

特に親愛の心である「仁」と、その心や敬意を行動にする「礼」を重んじており、上の者は下の者に良くし、下の者はそれに礼をもって答える、という形をとっていました。


儒家では孔子以外にも孟子(もうし)や荀子(じゅんし)が知られており、孟子は仁と礼に加え「性善説」をとなえ、荀子は「性悪説」をとなえていました。

孟子の性善説は、本来人の心は善であり、上の者が下の者に良くすれば下の者は必ずそれに応えるを重視したもので、荀子の性悪説は逆に下の者がを尽くすことで良い関係が築けるとしていました。


墨家(ぼっか)

墨家は中国が統一されるまで儒家と並んで最大の勢力でした。

儒家の考え方を嫌った墨子(ぼくし)によって作られたもので、「兼愛」=無差別の愛こそが重要であり、非攻を重視していました。

ただ非攻でありながらも防衛は否定せず、防衛するための戦術を練り国を助けていたため根強い支持がありました。


道家(どうか)

道家も墨家と同じく儒家の考え方を良しとしない、老子(ろうし)や荘子(そうし)によって作られました。

礼などの人為的な道徳行為を否定、無為自然を説いており、「ありのままでいること」こそが大事だととなえていました。

この考え方は後の道教にも影響を与えることになります。


法家(ほうか)

性悪説をとなえた荀子の弟子である韓非子(かんぴし)によって作られました。

儒家が心による徳治主義なのに対し、法家は悪の心は法というルールのもとでコントロールするべきだとする法治主義をとなえていました。

春秋戦国時代ではなく、始皇帝による秦の時代に用いられ、後の王朝でも法治主義が利用されていくことになります。

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