【古代中国①】黄河・長江文明と殷王朝

中国
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黄河文明

仰韶文化

古代中国では様々な文化が知られていますが、黄河文明では仰韶(ぎょうしょう)文化がよく知られています。

黄河中流域にあった文化で、アワなどの雑穀を中心とした農業を行っており、彩陶とも呼ばれる彩文土器を使用していたことも特徴的です。

またこの時代から「邑」と呼ばれる、様々な民族の集落が黄河周辺に乱立していくことになります。


竜山文化

黄河下流域にあった文化で、様々な陶器が出土したことで知られています。

普段は灰陶(かいとう)と呼ばれる灰色の作りの粗い土器を使っていましたが、黒陶と呼ばれる非常に薄く模様の入った陶器が一部の職人によって作られていました。

形状も様々で、仰韶文化に出来た3つの足で立つ三足土器なども使われていました。


長江文明

黄河の南に流れていた河、「長江」の周辺にできた文明で、河姆渡遺跡が有名です。

この遺跡から大量の稲作の痕跡が見つかったことから、稲作中心の農業を大規模に行っていたことが分かっています。

また、現在見つかっているものの中では最も古くから稲作を行っていたとされています。

この稲作が後の日本に影響を与えることになり、また漆器や磁器なども見つかっていることから、この後に発展する様々な文明の土器に大きな影響を与えたともされています。


殷王朝

仰韶文化から黄河周辺にできたが徐々に大きくなり、「商」と呼ばれる最も力を持っていた邑を中心として1つの王朝になりました。

確認できているものの中では最も古い王朝で、都の遺跡である「殷墟」が見つかっています。

この殷墟から様々なことが分かっており、占いによって国事を決める神権政治や、その占いに使う亀の甲羅に文字を入れる甲骨文字などが発見されています。


また殷王朝には奴隷がたくさん存在しており、その奴隷達は生贄として使われることもありました。

そこで奴隷達は利用価値をアピールするために青銅器の加工を盛んに行っており、競争が激しくなった結果、非常に優れた技術で加工が施された青銅器が作られるようになりました。

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