【古代中国⑧】五胡十六国と北魏分裂

中国
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五胡十六国時代

永嘉(えいか)の乱によって西晋が滅びた後、五胡と呼ばれる匈奴鮮卑(せんぴ)・(けつ)・(きょう)・(てい)の5つの異民族によって、華北と呼ばれる中国北部一帯は支配されました。

また、この5つの異民族によって16の国を筆頭とする、たくさんの国が作られました。


様々な戦が起こりましたが、拓跋氏(たくばつし)によって北魏(ほくぎ)と付けられた国が勝利、北魏の時代を迎えることになります。


仏教

北側は土地に養分が少なく、貧しい生活を強いられた人々は仏教に頼るようになりました。

これらは仏図澄(ぶっとちょう)や鳩摩羅什(くまらじゅう)といった人物の活躍もあり、現代の日本にも大きな影響を与えるほどになりました。


北魏

太武帝

力を持った北魏は、太武帝(たいぶてい)の時代に華北を統一することに成功しました。

この太武帝は熱心に活動していた寇謙之(こうけんし)に魅入られ道教を国教化、国民をまとめようと仏教を弾圧したことで知られています。

また、匈奴の脅威は無くなったものの、モンゴル高原などの民族との争いが見られるようになりました。


孝文帝

太武帝のしばらく後、孝文帝(こうぶんてい)の時代になると都を洛陽(らくよう)に遷し、漢族=中国人を目標とした漢化政策が見られるようになりました。


土地を支給し、定年で返還させる均田制(きんでんせい)や、民族や貧富の差を少なくする三長制(さんちょうせい)などの改革が見られましたが、漢化政策による急激な変化に保守派や鮮卑族からの反発が強まり孝文帝の死後、北魏は分裂することになります。


北魏分裂

内部争いから対立が強まり、結果として二人の皇帝によって東魏(とうぎ)と西魏(せいぎ)二つの国が建てられることになりました。

この二国は当然仲が悪く争いを繰り返していましたが、東魏は当初から皇帝に力は無く帝位を譲る形で北斉(ほくせい)になり、西魏は力を持ったものの乗っ取られ北周(ほくしゅう)となりました。


北周は北斉を滅ぼし華北一帯を統一するに至りましたが、この北周も皇帝の独裁により力を失い、また皇帝が早くに亡くなったために次の皇帝は幼く、帝位を取られる形で滅び、帝位を得て出来た(ずい)が力を持つことになりました。

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