【古代中国⑬】五代十国の時代

広告

五代十国

唐を滅ぼした節度使の朱全忠(しゅぜんちゅう)が後梁(こうりょう)を建てた時から五代時代が始まりました。

この後梁は黄河と大運河を結ぶ非常に重要な位置に都を構えているものの、16年ほどで滅亡、ここから短い王朝が続くことになります。


後晋

後梁の次は後唐(こうとう)で、その次に後晋(こうしん)が建てられました。

この後晋は建国の際に、北方の契丹族(きったんぞく)の国である(りょう)の力を借りており、またこれに対する礼として燕雲(えんうん)十六州と呼ばれる十六の州を譲りました。


この十六州には万里の長城の内側にある州も含まれており、常に弱点を晒すような状態に陥っていました。

またこれ以外にも贈り物をするなどしており、結果として国の力を大きく削ぐ形になり、これ以降の王朝にも影響を与えることになります。


五代時代の終わり

大きな代償を払って建てた後晋が10年ほどであっさり滅びると、後漢(こうかん)が建てられました。

しかしその後漢もすぐに滅び、後周(こうしゅう)が建てられました。


後周は内政に力を入れたため繁栄の兆しが見えましたが、皇帝が早くに病死したことで次代の皇帝が幼く、これに不安を覚えた軍部はクーデターを起こし皇帝の座を奪う形になりました。

しかしこの事件は被害を出さないように徹底しており、国を滅ぼすためでなく、反乱などを未然に防ぐために行われたとされています。


五代十国時代の変化

五代十国時代は、まるで三国時代のような武が強い武断政治の時代でした。

そのため貴族は没落、また荘園制も崩壊しているため、収穫された作物を地主に収める佃戸(でんこ)制を行っている大土地を持つ新興地主たちが台頭してきました。


もちろん武断政治であるため節度使が変化してなった藩鎮(はんちん)も力が強く、この藩鎮と佃戸制を行う地主たち、二つの大きな力に支配されるようになっていきました。

タイトルとURLをコピーしました