【ギリシア③】アテネとスパルタの戦争

ギリシア
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ペルシア戦争

オリエントを征服していたアケメネス朝ペルシアは、ギリシアからエーゲ海を挟んだ対岸にある「イオニア植民市」に対して攻め込みました。これが成功しイオニア植民市は支配されていましたが、様々な要因から不満が高まり反乱が起きました。


マラトンの戦い

反乱を受けアテネはイオニア植民市を支援することにしました。

これに対しペルシアのダレイオス1世は、防衛するアテネ軍1万を大きく上回る2.5万の軍隊を派遣しましたが、アテネ軍の市民達で構成された重装歩兵が活躍しペルシアは敗北することになります。

※陸上競技マラソンの名前の由来は、アテネ軍の兵士がアテネまで40㎞近く走り、この戦いの勝利を報告した直後に絶命したことから来ているとされています。


サラミスの海戦

マラトンの戦いから少し経った頃、アテネは「テミストクレス」が率いる大量の船を一斉に出撃させ、これをペルシアが反撃したことで海戦が行われることとなります。

数ではアテネが劣っていましたが、無産市民と呼ばれる財産の無い人々が漕ぎ手として活躍してこれを退け、再びアテネが勝利を収めることになります。

これにより無産市民の発言力が増し、後に「ペリクレス」による民主政治が完成することになります。


デロス同盟の誕生

サラミスの海戦後にアテネ、スパルタ連合とペルシアで行われた「プラタイアの戦い」でもアテネ側が勝利したことでアテネは力を持ち、海軍も強力であったことからペルシアに対する「デロス同盟」が誕生、アテネは盟主になりました。

アテネはその権力を使い、徐々にギリシアに対する支配を強め、帝国化することになります。


ペロポネソス戦争

これに対抗しようとスパルタ率いる「ペロポネソス同盟」が誕生し、ペロポネソス戦争が行われることになりますが、アテネは開戦した2年後に疫病が流行するようになります。

この疫病で民主政治を作り上げたペリクレスが死んだために、人気を取ろうと無責任な発言で民衆を煽る「デマゴーゴス」が起き、衆愚政治と呼ばれるほどアテネの政治は堕落していくことになります。


疫病と政治の衰退によりアテネは徐々に力を失い、スパルタが勝利をおさめますが、スパルタも他のポリスを圧迫していたために反感が高まり、テーバイと対立することになります。

対立によってテーバイとペロポネソス同盟で「レウクトラの戦い」が起き、テーバイがペロポネソス同盟の中で最も強力であったスパルタを集中して攻撃することで勝利をおさめ覇権を得ることになります。

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