【ギリシア②】アテネとスパルタ

ギリシア
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アテネ

貴族政治

有力者を中心として集住を開始した中で、その有力者たちが貴族として政治を行う貴族政治が主体となっていました。もちろん市民には参政権は無く、貴族と平民や奴隷の区別までありました。

市民は参政権を求めていましたが、貴族は自分たちは騎兵であり国を守る役割をしているため権限を持っていると主張、市民の要求を拒否していました。


しかし、時が経つにつれ市民が担っていた商工業が活発化し発展、市民たちの中から裕福な者が出てくるようになります。その裕福な市民たちは武器や防具を買い、重装歩兵として国を守り始め国防の中心になっていきました。


市民が国防の要となったため勢力は傾いていましたが、古くから貴族であり統治者でもあった「ドラコン」が慣習を成文化し、法律を作ったことで貴族の独占が崩れることになります。


ソロンの財産政治

ドラコンが改革を行った後、ソロンは市民を4段階に分け、財産の多さに応じて参政権の付与や、兵役の内容が変化するようになりました。これにより、市民は財産を増やすことで得られる利益が明確になりました。

また、負債が重なり返済できなくなっていた人が奴隷として扱われている状況を改善するため、負債を帳消しにして債務奴隷を開放、債務奴隷の禁止も行いました。


ペイシストラトスの僭主政治

ソロンの財政政治の後、ペイシストラトスは貴族政治を打倒し、政権を獲得しました。

力で非合法的に政権を獲得したために僭主と呼ばれていますが、この僭主政治では亡命貴族の財産を貧しいものたちに与え、立場の弱いものたちを保護、教育したために平民からは絶大な支持を得ていました。


クレイステネスの民主政治

僭主政治を打倒したクレイステネスの政治では、「デーモス」と呼ばれる区を割り当て、そこから投票で代表者を選ぶ方式が取られるようになりました。

また、「オストラキスモス」と呼ばれる陶片追放という制度を導入していました。これは陶片に僭主(独裁者)になりそうな名前を書いて集め、名前が多く書かれていたものを追放するもので、僭主の誕生を防ぐ狙いがありました。


スパルタ

スパルタはギリシアの中でも特殊で、唯一穀物が栽培できる土地でした。そのため交易が必要なく、閉鎖的な国家だったとされています。


またスパルタは種族による力の関係が明確で、「スパルティアタイ」と呼ばれるドーリア人の子孫たちが”完全市民”として頂点に立ち、周辺の町を支配している状態でした。

その町に居る人々や異民族は「ペリオイコイ」と呼ばれる商工業に従事する存在であり、その中でも直接的に支配されたり差別を受けた人々は「ヘイロータイ」と呼ばれる隷属農民でした。


このヘイロータイは数が多く、完全市民1人につき20人前後が奴隷として使われている状況にありましたが、反乱を起こされる危険性もありました。

そこで「リュクルゴス」は市民の権力を維持し続けるため軍国主義の規律を作り、完全市民たちを厳しく鍛えることで力を持たせ、奴隷達が逆らえない環境を作り上げていました。

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