【中国⑤】清の誕生と鄭成功

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後金の誕生

明が経済難で混乱していた時代、明の北方では新たに国家が誕生していました。

その国は金、現在では後金(こうきん)と呼ばれ、遼や北宋を滅ぼした金と同じく女真族の国家であり、ヌルハチによって建てられました。

※現在では満州族と呼ばれることもある


この後金は満州文字を作った他にも、八旗と呼ばれるグループを作り、行政や軍事において命令が迅速に伝わるようになっていました。


そして徐々に勢力を拡大していった後金は、二代目ホンタイジの時代に内モンゴルを征服、国の名前を(しん)と改めました。

更にモンゴル民族の他にも漢民族が増えたため、最初の八旗(満州八旗)以外にも、漢民族の漢人八旗やモンゴル民族の蒙古八旗などが作られました。


勢力を盤石なものにした清は、国号を変えた翌年に朝鮮を属国化すると本格的に中国侵攻を目標としましたが、北方民族に対しての備えである万里の長城が攻略できず苦戦を強いられました。


ところが三代目の順治帝になった翌年に明は李自成の乱により混乱、明の武将であった呉三桂(ごさんけい)を仲間に取り入れると呉三桂の先導によって国内に侵入、北京を新たに都にすることに成功しました。


鄭成功

清が北京を支配し勢力を広げている最中、外部の勢力によって明が滅ぼされそうになっていることに対し反対する鄭成功(ていせいこう)が「反清復明」を掲げ抵抗運動を始めていました。


そして鄭成功は当時オランダ人が支配していた台湾に移動、オランダ人を一掃し鄭氏政権が誕生した台湾は反清として活動していくことになります。

この鄭成功率いる台湾は清に滅ぼされることになりますが、明に功績を認められ国姓を貰ったことから国姓爺(こくせいや)と呼ばれるなど、英雄の一人として知られています。

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