【中国④】財政改革と明の滅亡

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財政改革

北虜南倭による襲撃や侵攻、それに伴う万里の長城の修築などにより財政難に陥った明は、税をで納めるよう統一する一条鞭法(いちじょうべんぽう)と呼ばれる財政改革を行いました。


これには貿易が活発に行われるようになったという背景があり、アジア各国や大航海時代を迎えていたヨーロッパなど様々な国と貿易を活発に行うようになった結果、日本銀メキシコ銀と呼ばれるが大量に流入していました。


また、明が銀を通貨として認めたことで一部の地域と交易がスムーズに行えるようになり、さらに貿易網が拡大することになりました。

しかし、財政難による徴税の増加により貧困の格差は広がり、これが滅亡の原因を生むことになります。


政治争い

一条鞭法など、様々な改革を行い国の財政を改善させた張居正(ちょうきょせい)が死ぬと、東林書院という学校出身の官僚が中心となった東林派と、反東林を唱えた非東林派の争いが起こりました。


この非東林派は宦官と結託しており、また東林派と非東林派による争いが長引いたことで政治が停滞、国に大きな影響を及ぼすことになります。

また、豊臣秀吉による朝鮮侵略が起きた際、朝鮮を助けるために兵を出すなどしたために経済的にも苦しい状況に追い込まれました。


明の滅亡

李自成(りじせい)を含む農民たちは、財政難からくる経費削減のあおりを受け職を失ったことをきっかけに、小規模ではあるものの反乱を起こしました。


少し時が経つと、大規模な干ばつが起きたために各地で反乱が頻発するようになり、李自成もこれに参加、反乱は徐々に拡大していきました。

これに加え、勢力を伸ばしていた女真族の対応に追われていたため国は対応できず、農民の支持を受けた李自成らは北京を攻略、明は滅亡することになります。


しかしこの頃、女真族の国である(しん)は力を増しており、あらたに皇帝を名乗った李自成はあっさりと滅ぼされ、清が中国を支配することになります。

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