【中国①】明の成立と内政

中国
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明の成立

紅巾(こうきん)の乱で元を倒した朱元璋(しゅげんしょう)は江南を統一、そこから更に力を伸ばし南部一帯を統一、(みん)が誕生することになります。

この朱元璋は洪武帝(こうぶてい)と呼ばれるようになり、長らく支配されていた異民族の国家から漢民族の国家を取り戻した人物としてよく知られています。


洪武帝の政治

漢民族に力を取り戻した英雄とも言える洪武帝ですが、人を信用できない性格であったため、古代中国で見られたような独裁が見られるようになります。


政府の改造

特に顕著なのが皇帝の命令を作る中書省と皇帝の補佐役である丞相廃止で、自分の考えを邪魔されず、自分の命令が必ず通る環境を作り上げました。

また予算など余計な邪魔が入らないよう六部も皇帝直属にし、あらゆる方面に皇帝の手が届くようになりました。


更に官僚が学ぶ必要のある官学に、上下関係を重んじる朱子学を導入、反抗心を持たないように徹底し、自身に敬意を払う部下を育てていきました。


対外政策

政府を作り替え、自身の思い通りに動く形を作り上げた洪武帝は貿易にも手を出しました。

海禁政策と呼ばれる政策で、民間の貿易や渡航禁止、貿易は国家が行うようになりました。また、この貿易は朝貢貿易と呼ばれるもので、属国や周辺国家に対し貢物を要求するようなものでした。


・民衆の管理

独裁政治が目立つ洪武帝ですが、民衆の管理も行っていました。

民衆の多くは農民であり、その農民から漏れなく徴税し、犯罪をできる限り抑える必要があったため3つの政策でこれらを管理しました。


賦役黄冊(ふえきこうさつ)

これは戸籍台帳であり、またそれに伴い租税台帳としての役割もありました。

この賦役黄冊を見ることで誰がどこに住んでいるのか、またその人々が税をどの程度おさめる必要があるのかを知ることができました。


魚鱗図冊(ぎょりんずさつ)

戸籍の情報が載っている賦役黄冊と合わせて、土地の情報を載せた魚鱗図冊が使われました。

これはある家を中心として家を追加していくことで周辺の情報を絵として載せ、誰が見ても家の位置関係が分かるようになっていました。

またそれらが魚鱗に見えることから魚鱗図冊と名づけられました。


里甲制(りこうせい)

上記に加え、里甲制と呼ばれる制度が導入されていました。

これは110戸を1里、10戸を1甲として里長や甲首を置くことで彼らに管理させ、より正確に人口などの情報を得ることができるようになっていました。


その他の政策

洪武帝は上記以外にも国防や教育に関して政策を行っていました。

その一つが衛所制であり、これは軍戸を設置してその家から徴兵する制度で、不満が高まらないよう税の免除が行われていました。


そしてもう一つが六諭(りくゆ)と呼ばれる六ヵ条の道徳教育でした。

これは朱子学と儒学を六ヵ条に纏めた簡易的なもので、文字が読めないなど、教育が届いてない中でも皇帝に対する敬意を持つよう教育を徹底して行っていました。

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