【中国③】北虜南倭と明の衰退

中国
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明の衰退

永楽帝の時代、力を誇示し日本を含む様々な国に巨額の富をもたらした明は、永楽帝の子供や孫の時代に大きな発展を遂げ、最盛期と呼ばれるほどの繁栄がみられました。


しかしその頃、モンゴル高原では異民族のオイラトが力を付けており、ついにはモンゴル一帯を制圧、この頃から明は北虜南倭(ほくりょなんわ)と呼ばれる様々な異民族との争いを強いられることになります。


そして、より力を強めたオイラトは、6代目皇帝の正統帝の時代に明にも侵攻を始め、幾度にも渡り明との戦争を行いました。

その結果、土木の変と呼ばれる戦で正統帝は捕縛、オイラトの指導者エセン=ハンが内紛で倒されたため事なきを得ましたが、その後の皇帝は紫禁城からあまり出なくなり、内政が徐々に疎かになっていきました。


南倭

明がオイラトからの侵攻を受けていた頃、南では倭寇(わこう)、それも後期倭寇と呼ばれる中国人が中心となった海賊が略奪を繰り返していました。

これは民間の貿易を禁じる海禁に反対する勢力であり、商人が中心となって武装していました。


後期倭寇による襲撃の被害は大きく、オイラトや北元の侵攻も相まって明は財政難に追い込まれることになります。


北元の侵攻

南倭が襲撃を繰り返していた時代、北では北元が力を付けており、北元は西に居たオイラトを退けるとモンゴルを統一、さらにアルタン=ハン率いる北元は明に侵攻を始めました。


この侵攻で北京が包囲されるなどしたため万里の長城を修復しましたが、幾度にも渡る南倭の襲撃や北方民族からの攻撃にさらされた明は経済的に大きく消耗、衰退していきました。

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