2019-12

モンゴル

【モンゴル①】モンゴル帝国の台頭

華北周辺など、モンゴル高原やその周辺には古くから遊牧民が存在していました。その中でも匈奴や突厥、女真族など様々な遊牧民が誕生していましたが、その流れの中でテムジンと呼ばれる人物が誕生しました。このテムジンは力を伸ばしていた一族の元に生まれたこともあり、悲惨な目に遭いながらも一気に力をつけモンゴル高原を統一しました。
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【古代中国⑭】北宋と周辺民族

北宋(ほくそう)は趙匡胤(ちょうきょういん)によって建てられた国で、これまでと比べると比較的領土が小さい特徴を持っています。しかし、都を黄河と大運河の交点である開封(かいほう)に置いていたため、物がたくさん集まり常に栄えた状態でした。この北宋は軍人ではなく、政治や学問を学んだ役人によって国をおさめる文治主義の形をとっており、科挙では殿試(でんし)と呼ばれる皇帝の面接を行うほどでした。
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【古代中国⑬】五代十国の時代

唐を滅ぼした節度使の朱全忠(しゅぜんちゅう)が後梁(こうりょう)を建てた時から五代時代が始まりました。この後梁は黄河と大運河を結ぶ非常に重要な位置に都を構えているものの、16年ほどで滅亡、ここから短い王朝が続くことになります。後梁の次は後唐(こうとう)で、その次に後晋(こうしん)が建てられました。
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【古代中国⑫】女帝の誕生と唐の滅亡

唐の中で最も大きな領土を持っていた高宗が死ぬと、その子供である中宗(ちゅうそう)が皇帝になりました。しかし、中宗は皇帝に向いておらず成果を出せなかったため、高宗の皇后である則天武后(そくてんぶこう)や、中宗の皇后である韋后(いこう)が中宗を皇帝の座から降ろし、則天武后が皇帝として君臨することになりました。
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【古代中国⑪】唐の誕生と二度の最盛期

大運河の工事など、労働者の酷使によって隋では国民からの反発が強まっていました。そして高句麗(こうくり)遠征の失敗直後に起きた反乱をきっかけに起きた全国での反乱や、北に居た異民族の突厥(とっけつ)との戦での敗北など、力を徐々に失っていきました。力を失った国内では独立した勢力が力をつけ、中でも李淵(りえん)は特に勢力が大きく首都を奪取、これを機に一気に衰退した隋は滅亡
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【古代中国⑩】隋の統一とその内政

北周の外戚であった楊堅(ようけん)によって作られた国で、長い混乱の時代を経て中国を再統一したことで知られています。隋ははじめに南を攻める際の懸念点である、北に居た異民族「突厥(とっけつ)」を攻撃しました。それにより突厥が東西に分裂すると戦力を集め陳を攻撃、力の弱っていた陳はあっさりと滅び中国は再度統一されることになります。
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【古代中国⑨】東晋とその後の南部

東晋 西晋のあった地が異民族に支配され五胡十六国時代を迎えていた頃、南では建康(けんこう)を都として東晋(とうしん)ができていました。 東晋は西晋から逃げてきた司馬睿(しばえい)など、普の一族によって建てられたもので、北部...
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【古代中国⑧】五胡十六国と北魏分裂

五胡十六国時代 永嘉(えいか)の乱によって西晋が滅びた後、五胡と呼ばれる匈奴・鮮卑(せんぴ)・羯(けつ)・羌(きょう)・氐(てい)の5つの異民族によって、華北と呼ばれる中国北部一帯は支配されました。 また、この5つの異民族によ...
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【古代中国⑦】三国時代と西晋による統一

後漢の滅亡 黄巾の乱をはじめとする各地の反乱によって国内は荒れた状態にありました。 その混乱を利用し、一将軍であった董卓(とうたく)は軍事力を使い洛陽(らくよう)を支配、皇帝を殺害し実権を握った上で暴虐の限りを尽くしており、後...
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【古代中国⑥】前漢の滅亡と後漢の誕生

武帝の時代、遠征による出費を埋めようと様々な政策を打ち出しましたが大きな改善は見られず、皇帝の力が弱まっていきました。そして武帝の死後、大土地を所有、農民を支配した豪族が力を持ち始め重要な役職を独占、皇帝を中心とした国の政治にも影響を及ぼすようになりました。また、皇帝の世話役である宦官(かんがん)や、外戚と呼ばれる皇帝の妻の親族も力を持ち始めました。
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